住んでる(Sunderu)
住んでる(Sunderu) 創刊号
「住んでる(Sunderu)」は、隣り合って暮らす人たちの声と声をつなぎ、ネットワークをつくるメディアです。
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1面
住んでる(Sunderu) 隣りあう人たちの声を聞く 創刊号 2026年1月号
「住んでる(Sunderu)」 は、隣りあって暮らす人びとの声と声をつなぎ、ネットワークをつくるためのメディアです。
大島四丁目団地にあるアートスペース「Studio04」はUR都市機構が設置し、記録と表現のコレクティブ・NOOK(のおく) とアーツカウンシル東京が手を組んで運営しています。「住んでる」では、そんなStudio04での日々のできごとを伝えたり、団地や地域に住まう⽅々にその暮らしぶりや思いを聞いていきます。
発行者:UR都市機構
企画・編集:一般社団法人NOOK
表紙イラスト:かつしかけいた
画像説明 大島四丁目団地を背景に、空にペットボトルや、紙コップなどのごみが妖怪のキャラクターとなって浮かび、前景をさまざまな世代・人種の人々が歩いている。団地の上には、第五福竜丸やゴミ処理場など、江東区にゆかりのある場所やものが描かれている。
[画像説明]大島四丁目団地を背景に、空にペットボトルや、紙コップなどのごみが妖怪のキャラクターとなって浮かび、前景をさまざまな世代・人種の人々が歩いている。団地の上には、第五福竜丸やゴミ処理場など、江東区にゆかりのある場所やものが描かれている。
2・3面
特集 東東京、記憶の地層
展覧会「現代・江東ごみ百鬼夜行」レポート
Studio04 からはじまる、記録と表現の往復ーカロクリサイクル
江東区・UR都市機構大島四丁目団地の一角にある Studio04(スタジオゼロヨン)は、地域にひらかれたリサーチと交流の拠点です。記録のコレクティブ・NOOK(のおく)が主体となって、このスタジオで、ワークショップや展覧会、配信など、記録と表現をめぐる多様な活動を展開しています。
その中心にあるのが、『カロクリサイクル』1というアートプロジェクト。「カロク(=災禍の記録)を探そう。記そう。手渡そう。」を合言葉に、過去に起こった出来事をたどり、いま進行している災禍を記録しながら、その経験や知恵を未来に手渡す試みを続けています。
普段はライブラリーとして開室しており、本を読んだり、絵を描いたり、おしゃべりをしたりと、地域の人びとがゆったり過ごす場にもなっています。
本文では、その実践のひとつとして、2024年9月から2025年1月にかけてStudio04で開催した展覧会 「現代・江東ごみ百鬼夜行」 をご紹介します。
江東地域って、昔はほとんどが海だったってご存知ですか?
江東地域は、江戸時代からの埋め立てによって形づくられてきた土地です。大火や地震、空襲のがれきまでもが、この地面の下に幾層にも積み重なり、現在の風景をつくっています。
東日本大震災以降、大きな災禍を経験した東北を拠点に記録や表現の活動をしてきた私たちNOOKは、そんな土地の記憶に興味を持ちました。江東地域が歩んできた道のりを振り返りながら、現在さまざまな地域で起きていることをつなぎ、これから向き合うべき問いと、そのヒントを見つけるための展覧会。それが「現代・江東ごみ百鬼夜行」です。
ものが語りはじめる夜 『ヨンちゃんとごみおばけ』
ーーーーー
がさがさ、ごそごそ、ぱきりぱきり、ぞわぞわ・・・
団地の、みちばたの、駅の、コンビニの、ショッピングモールの・・・
夜になると、まちじゅうのごみ捨て場から、ふしぎな音がする。
ぞろりぞろり、しゃらしゃら、どすどす、とこりとこり・・・
そおっとのぞいてみると、たくさんのおばけが行進しているよ。
やかん、炊飯器、ハンガー、ながぐつ、ふで、かばん、ふるタイヤ・・・
だれかが捨てたものたちが、ぎろぎろとあたりをにらみながら、通りをねり歩いている。
ーーーーー
この展覧会の軸になったのは、『ヨンちゃんとごみおばけ』(作・瀬尾夏美/絵・佐竹真紀子)という物語です。団地に住むヨンちゃんが、ごみ捨て場から現れた“ごみおばけ”たちの行列を見かけ、かつて自分が大切にしていた赤いかさのおばけを追いかけていく──。ヨンちゃんは赤いかさとともに時間の裂け目をくぐり抜け、江東地域の過去へとタイムスリップします。
足もとの歴史をたどる旅 ―東京ごみ戦争と第五福竜丸
会場は来場者がヨンちゃんとともに旅することができるような構成にしており、江東地域の土地の成り立ちや、時代とともに変化してきた人とごみの関係についての解説を展示しました。 特にじっくりとリサーチしたのは、かつて江東区が直面した「東京ごみ戦争」と、夢の島に放棄されていた「第五福竜丸」についてです。
東京大空襲によって壊滅的な被害を受けた江東地域の人々にとっての戦後は、生きていくための家や食べ物がないという、深い悲しみと苦労からはじまりました。1950年半ばには、朝鮮戦争によって出兵した米軍戦闘機の修理などの特需によって神武景気が始まります。これが、高度経済成長の幕開けです。人口もどんどん増えて、1960年代に入ると、技術革新と大量生産により市場にはさまざまな商品が出回るようになりました。便利なインスタント食品や家電が次々と発売され、「より新しく、より便利で、より豪華なもの」を消費者が求める、本格的な大量消費社会が到来します。
東京のごみは増える一方で、そのほとんどが処理されないまま、江東区夢の島の埋立処分場に運ばれていました。毎日通行する5000台以上のごみ収集車から道路へこぼれた生ゴミや汚汁が悪臭を発生させ、1965年にはハエが異常発生する「ハエ騒動」が起こります。洗いたての洗濯物にハエが群がり、小学校が学級閉鎖するなど、住民の生活は大混乱。長年にわたってごみ問題に苦しまされた江東区は、東京都やほかの区に対して、行政と市民が一体となってごみ問題の解決を訴え、ごみは自分の地域で処理する「自区内処理の原則」と、ごみ処理負担を23区で公平にする「迷惑負担公平の原則」を求めました。ところが、杉並区では清掃工場建設への反対運動が盛んになり、約束の期限を過ぎても工事が進みませんでした。そのため、区民たちは杉並区のごみを積んだトラックを自力で止めて、パトカーが出動するまでに発展。危機感を強めた当時の美濃部都知事は「東京ごみ戦争」を宣言しました。この一連の出来事は、ごみ問題が最終的な処理を任された江東区のみに関わるのではなく、ごみを捨てているみんなが協力して解決すべき問題であることを示し、市民たちの意識を大きく変えました。
「第五福竜丸」の被ばくと保存運動は、ごみ問題とともに、私たちの社会を問い直すような出来事でした。1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を実施。「ブラボー」と名付けられた水爆は、放射能を帯びた「死の灰」を降らせました。何も知らずに静岡県焼津港から出港していたマグロ漁船第五福竜丸は、爆心から約160キロ東でこの死の灰を浴びてしまいます。乗組員全員が急性放射能症と診断され、無線長だった久保山愛吉さんが亡くなりました。核の平和利用への機運が高まっていた日本社会でしたが、久保山さんの死をきっかけに反核のうねりが起こっていきます。しかし、第五福竜丸は大学の練習船になったあとに廃船し、夢の島のごみ山に捨てられてしまいました。
その後、第五福竜丸はどうなったのでしょうか。1968年3月10日、朝日新聞の「声」欄に「沈めてよいか第五福竜丸」という投書が掲載されました。日本人にとって「忘れることのできない、決して忘れてはならない」船が、江東区夢の島で朽ちようとしている──その現状を嘆いた投書は大きな反響を呼び、第五福竜丸の保存運動が進んでいきました。このような悲劇が二度と起きないようにと願い、たくさんの人々が夢の島に通いました。朽ちかけた船体を修理し、豪雨があれば夜を徹して排水を続け、船の水没を防ぎました。とてつもない市民運動の集積によって第五福竜丸は現存し、夢の島にある第五福竜丸展示館でその記憶を伝えています。そして、世界中で今なお続く核実験や、その脅威に対して、確かなまなざしを静かに向け続けているのです。
災禍の記録をつなぎ、語り合う場をひらく
展覧会では、大きな災禍を経験した他地域の実践として、東日本大震災の被災地・岩手県陸前高田市での、巨大な嵩上げ工事による復興と変わりゆく風景を10年間に及び記録した映像や、能登半島珠洲市の銭湯「あみだ湯」で行われている、被災がれきを湯を沸かすためのエネルギーに変える取り組みなども紹介しました。
関連イベントも複数開催し、来場者の皆さんと、展示を鑑賞した上で思い起こされたことや、新たに生まれた問いについて、さまざまなおしゃべりをしながら時間をともに過ごすことができました。家庭から出たごみを持ち寄っておばけをつくるワークショップ「ごみおばけづくり」も大人気。たくさんの親子が空き箱やペットボトルを持ち寄り、色とりどりの紙を貼って思い思いのおばけが出来上がりました。
それぞれの地面の下には無数の物語が眠っています。それらは普段見えないごみおばけのような存在かもしれません。けれど、耳をすませばきっと小さな声が聞こえてきます。私たちが暮らすすぐ足元から、「ここにもいるよ」と。(文:磯崎未菜)
コラム:てつがくカフェ04 「もったいないってなんだろう?」
2024年12月14日、展覧会「現代・江東ごみ百鬼夜行」の関連企画として、てつがくカフェ04「もったいないってなんだろう?」を開催しました。ゲストには、民俗学や伝承文学を専門とし、妖怪研究でも知られる飯倉義之先生をお迎えしました。日本に根づく「もったいない」という感覚を、昔話や妖怪のイメージをヒントに考える時間となりました。
最初に飯倉先生が紹介したのは、1982年のCMに登場する「もったいないおばけ」です。みなさんはもったいないおばけをご存知ですか?食べ残しのだいこんやにんじんが「もったいねえ、もったいねえ」と訴えかける様子は、食べものを粗末にしないよう呼びかけるものでした。また、室町時代に生まれたといわれる『付喪神(つくもがみ)絵巻』や、昔話『宝化け物』には、捨てられた古道具が怒りを抱き、人間への復讐を試みたり、蔵の外へ逃げ出す姿が描かれています。飯倉先生はこれを「始末をつける」という感覚と結びつけ、ものを使い切り、無駄にしない姿勢が重んじられていると話しました。
後半の対話では、参加者のみなさんと改めて「もったいない」の意味を考えてみることに。「ものを手放すタイミングがわからない」「メルカリに出品するのは“始末をつける”ことになる?」「ごみ処理の工程が見えにくい現代では、ものへの責任感が薄れてしまうのでは?」など、今の暮らしに根ざした問いが挙がりました。そこから、出てきたいくつかのキーワードを手がかりにみんなで新たな問いをつくってみました。
・捨てるってなんだろう?
・ものに心はあるのか?
・ひととものとの関係はどう変わってきたのか?
・経済に「もったいない」を組み込むには?
・私たちとごみは仲直りできるのか?
飯倉先生からは、人間だけでなく、ものも社会の中で作用し合う存在としてとらえる「アクターネットワーク理論(ANT)」の紹介もありました。
展覧会のタイトル「現代・江東ごみ百鬼夜行」には、人が捨てたものたちが夜道を練り歩く「百鬼夜行」のイメージが込められています。昔の人びとは、長い年月を経て魂が宿った道具を「つくも神」と呼びました。無闇に使い捨てられたものに恨まれる怖さを感じつつ、ものや自然をおごらず、対等に向き合おうとする感覚があったのだと思います。そのような営みを、私たちは「もったいない」と呼んできたのかもしれません。
4面
特集インタビュー 落語家 林家三平
生まれも育ちも台東区根岸。落語家・林家三平さんにご自身が過ごされてきた東東京の街の変化、家族の思いを継ぎながら語り続けている「国策落語」について、母・海老名香葉子(えびなかよこ)さんから聞いた幼い頃の空襲体験……さまざまなお話を、初代林家三平の笑いの精神を受け継ぐ場所「ねぎし三平堂」で伺いました。
売り声の響いていた幼少期
「昔と比べると今は、音が変わりましたね」と、根岸の印象を語る三平さん。
――僕が小さい頃は石焼き芋だったり、チャルメラ・竿竹屋……、そういう売り声がたくさんありました。スーパーなんかない時代ですから、八百屋も築地からトラックで来るんです。ラッパがプッって1回鳴ると「ああ来た来た」という感じで買い物に行くんですけど。当時は父のお弟子さんたち含めて40人近くが家に出入りしてましたから、母はそういうところで大量に買い込んで、その人達の食事をつくってっていうふうにしていました」
家の中もまちもにぎやかだった幼少期。売り声は「2000年はじめごろまではあったような気がする」けれど、決定的に変わったのはコロナのときだったとのこと。まちに音がなくなって、受け継がれるものが受け継がれなくなり……売り声に限らず、お祭りなどの年中行事が廃れていく状況が不安だったと語る三平さんは、地域の人々の集まりにも積極的に関わっています。
――それではいかんっていうので、このあたりは最近ようやく町会ごとに火の用心だけはするようになりました。5月の氏神様の祭りに参加するとか、盆踊り大会を復活させるとか、小さなことでいいから地域ごとの集まりを大切にしていくことは重要だと思います。僕ももう若くはないので、今やる気のある30代の子たちとかを支援しています。神輿の担ぎ手がすくなくなったから、担ぎ手の若い人たちに声かけてうちの半纏着せて送り込んだりとかね。
3月9日の天丼とお参り
母の香葉子さん(92)は11歳のとき、兄一人をのぞく家族全員が東京大空襲で亡くなるという壮絶な経験をされました。自叙伝的な小説『うしろの正面だあれ』などの著作でその経験を綴り、また語り続けています。そうした母の姿を、三平さんはどのように感じていたのでしょうか。
――物心つく前から、3月9日はお参りへ行ってたんです。母の家族は本所堅川(ほんじょたてかわ)にある中和小学校を目指し逃げる途中で亡くなってしまった。生き残った母の兄が場所を覚えていましたから、そこへ手を合わせにいったという記憶は僕のなかにもずっと残っています。でもそれ、なんで覚えているかって言うと、その後に母が毎年必ず天丼を食べさせてくれたんです。僕にとってはだから、“天丼の日”という楽しみな日だった。それが小学校入って、戦争の歴史を勉強したりするころになると、「実は私の家族はね……」って、母が語るようになって。そうすると、天丼の日が空襲の日に書き換わるんですよ。お参りするだけ、話を聞くだけなら印象には残らなかったと思うんです。言葉だけを記憶に留めるっていうのはとっても難しいことですから。手を合わせにいったこととか、天丼が美味しかったとか、そういう体感したものすべてで記憶になる。だからそうやって母は残したんだと思います。
国策落語『出征祝』
『出征祝』は、三平さんの祖父、七代目林家正蔵が戦時中につくったいわゆる「国策落語」と呼ばれるものだ。53の演目が禁演落語として自粛対象となった当時の数少ない娯楽だった。三平さんは十数年前からこの噺の存在を知り、「まったくおもしろくない」と語りながらも、取り組みをつづけている。
――『出征祝』をかける時は、必ずこうはじめるんです。「今からここは、昭和16年です。今、日本は勝ってるんです。パールハーバーから破竹の勢いでどんどん勝って、シンガポールを占領して。ミッドウェーでも勝った、ガダルカナルも獲った。そういう状況にあると思って聞いて下さい」って。今の人が、今の体感で聞いても通じないんですよ。それは日本が負けたって知ってるから。戦前と戦後で全く別のイデオロギーが働いていたわけですから。だから、こういうふうにはじめるんです」
毎年手を合わせていた空襲の日、従軍経験を決して語らなかった父のこと、そんな父の足跡を大人になってから徹底的に調査して辿ったこと。ご自身の経験と「国策落語」は直接リンクしないと三平さんは語るが、戦後80年が過ぎ、その取り組みの需要はますます高まっている。
――すでに語り部の方がどんどんいなくなって、まもなく生きて体験した方は誰もいなくなるでしょう。語り部を継ぐ語り部というのも最近あって、その運動もものすごく大切だと思うんですが、どうしたって僕が語るよりも、母が語った戦争の話のほうが重みがあるんですよ。人を納得させるパワーは、やっぱり本当にあの場所にいて、グラマンから銃撃を受けた人じゃないと分からないんじゃないかと思う。じゃあなにが自分にできるのか。それが僕にとっては国策落語なんです。」
同じように語り継ぐことはできない、落語だってそうだ、と三平さんはつづける。
――古典落語をそのまま語っても形にはならないんです。やっぱり自分なりに置き換えてっていうのをしなくちゃいけない。そういうことを落語はずっとやってきたわけですから。自分にできるのは、これから先の未来で起こることに対して、先人たちなら、父や母ならどう考えて生きていくのか。それを考えていくことが、僕なりの継承のやり方かなと思っています。
(構成:中村大地)
「東東京、記憶の地層」を知るためのブックリスト
『つくもがみ』
京極夏彦=作、城芽ハヤト=絵、東雅夫=編、岩崎書店
「ものをそまつにすると、ばけてでるよ」とおじいちゃんは言う。おうちのほうきもげたもふるいも、大事に大事に使って百年が経ったんだって。突如化けて出てくる道具たち。長い時間大切にしてくれたから、一緒に踊ろう!妖怪小説のトップランナー京極夏彦による、全く新しい〈妖怪と出会う絵本〉。
『うしろの正面だあれ』
海老名香葉子=作 千葉督太郎=画、金の星社
筆者の幼少期の姿が重ねられる主人公、かよ子が体験した戦前の下町の人情豊かな生活、そして徐々に戦禍に巻き込まれていく日々を丹念に辿った児童文学の名作。東京大空襲によって兄ひとりを除く一家全員を失った筆者が、戦後跡形もなくなった本所の自宅焼け跡に立ったときの計り知れない悲しみが、読者の胸を強く打つ。
『僕の仕事はごみ清掃員。』
滝沢秀一=著、河出書房新社
普段あまり考えない、いやむしろ考えないようにしているかもしれないごみについて、軽妙な語り口とわかりやすいデザインで綴る、お笑い芸人•滝沢秀一氏によるエッセイ。ごみ問題、環境問題の話として気づきがあるのはもちろんだが、日々の暮らしからユーモアと学びを見逃さず、誰でもわかる形で提示する氏の視点に感服。
『ごみと日本人—衛生・勤倹・リサイクルからみる近代史』
稲村光郎=著、ミネルヴァ書房
東京都清掃局や下水道局などで長らく実務経験を積んだ著者が、江戸末期から1945年までの日本におけるごみの近代史を、多角的かつ網羅的に解説する唯一無二の一冊。現代にも通じる価値観や生活文化がごみとの関わりの中でいかに変化していったのか。私たちの生活と切り離せないごみから時代の深層を読み解く必読の書。
5面
Studio04便り
「歴史の蟹」が歩く
月に一度か二度スタジオに集まり、歴史を学ぶ小さな勉強会をひらいています。ここではおもに、アジア各地におけるアジア・太平洋戦争に関する資料や「戦後」の記録を持ち寄って、互いの資料を読み合ったり、それぞれの考えや経験を話したりしています。
きっかけは、毎年恒例で夏に開催している「記録から表現をつくる」というワークショップの参加者で、マレーシアでのフィールドワークを重ねている大瀧芽衣さん、台湾出身の映像作家ワン・イチェンさん、地元・長野にある引揚者のコミュニティについて調べている大木諒也さんのお話をそれぞれ聞いていて、三人の関心や問題意識に重なるものを感じたからです。そこで、ぜひわたしたちも仲間に入れてもらって、みんなで対話を続けたいと考えました。
プロジェクト名は「歴史の蟹」。歴史を一方向から直線的に語るのではなく、国や地域を横断しながら学び、思考していくことで、これまであまり着目されてこなかった声や記憶、風景を拾い集める試みです。もともと私たちは、東日本大震災後に宮城や岩手で記録の仕事をしており、そのなかで、東京(首都)と東北では異なる歴史的背景があることを実感してきました。「歴史の蟹」の実践を通して、各地で埋もれてしまう歴史や声を、小さな蟹の歩み、市民の視点で見つけ、記述してみたいと考えています。
この勉強会をきっかけにして、2025年夏、私たちは台湾とマレーシアを訪れました。台湾・台南では、日本の統治下で幼少期を過ごしたお医者さんに出会いました。米軍による空襲で亡くなった姉を思い、爆弾が落ちた場所に植えたというヤシの木は、10メートル以上もの高さに育っていました。
東西貿易の要衝だったマレーシア・マラッカは、ポルトガル、オランダ、イギリスの統治時代の面影とアジアの空気が混ざり合うまちです。まちなかから15分ほど歩き、華僑の文化運動を伝える博物館を訪れると、ここでインターン中の大学生に出会いました。日本のアニメが大好きで、日本語がすこし話せるその大学生は、この地域で起こった抗日運動について、言葉を選びながら教えてくれました。彼女は帰り際に、スマホに中国語をぱたぱたと打ち込んで、翻訳して見せてくれました。「マレーシア人であっても日本人であっても私たちは皆平和を望んでいる」。
それぞれの土地を訪れると、戦争の痛みを抱える人、出来事や経験者の思いを伝える人と直接出会うことができます。そこで話を聞くことで、同時代に生きるひとりひとりの見てきたものや考えの一端を知り、また言葉を交わすことで、自分のなかの偏見や思い込みがやわらいで、これからの未来について前向きに考え、行動する気持ちが湧いてきます。
戦後80年。当時を経験した世代が少なくなり、直接その語りを聞く機会が減る一方で、私たちは、あらたな戦争のニュースが現在進行形で流れる日常を生きています。そんななか、ともに学び、日々の暮らしやこれからについて話し合える友人が増えていくことを、とても心強く感じています。
「歴史の蟹」による学びの痕跡や旅の記録、収集した資料、またそれらを構成した作品による展覧会「歴史の蟹 戦後80年を歩く」(2025年11月23日~2026年2月14日※木・金・土・日・祝日のみオープン)をStudio04にて開催しています。また、会期終了後も開室日には資料などをご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。(文:瀬尾夏美)
Studio04開室カレンダーへのリンク
わたしも、のと部員です
「のと部」とは、「東京から能登を応援する」をコンセプトに、能登半島へ思いを寄せる人たちが集う部活動です。月に一度、Studio04を拠点にボランティアの体験や現地の今を共有しながら、離れていても続けられる支援の形について話し合ったり、実際に手を動かしたりしています。「のと部員」はいつでも募集中ですので、ぜひどなたでもご参加ください。毎月の開催日は「のと部」のSNSよりご確認いただけます。ここではさまざまな思いをもって参加する「のと部員」の声をお届けします。
能登とつながるはじめの一歩~SNSがつなぐ縁 福山佳子
去年の10月、Xからこんな投稿が流れてきた。「【のと部】をはじめます!現地の状況を知りたい人、能登に行きたいけれど足踏みをしている人、東京にいながらできることを探している人……どなたでも歓迎、出入り自由の部室をひらきます。お気軽にどうぞ」……東日本大震災を機に陸前高田に移住、被災者とともに暮らし、対話を重ねた体験を原点に各地の「災禍」を表現し、発信している若きアーティスト・瀬尾夏美さんの投稿だった。
その頃私は、能登に対して何もなす術がないことに、怒りにも近いやるせなさを抱えていた。能登半島地震はLINEで新年を祝い合った珠洲の友人の家を全壊させ、9月の豪雨は日比野克彦さんのワークショップ当日と重なり、縁あって珠洲までお手伝いに行ったのに何もできずに帰ってきた。
「東京にいながらできること」…そんなことがあるなら何でもいいからしてみたかった。
何かしたい、と思う人はいるもので、初回、瀬尾さんが所属するNOOKの拠点Studio04にはたくさんの人が集まった。過去に被災した方、東京出張の方など、SNSを見て全国から集まってくることに驚いた。ぎこちなかった会話も、回を追うにつれ打ち解けてきて、とはいえ常連が慣れた空気を醸し出すこともなく、いつでも誰でもウエルカムな自由闊達な場をつくっている。その居心地のよさはちょっとした奇跡に思えるほどだ。
いくつかある活動班のうち、私はSNS班を担当することにした。時折ポッドキャスト班で「能登とつながるラジオ のとと」の収録をのぞかせてもらう。部員同士の話し合いや、番組収録もオンライン。SNSのフォロワーも全国に散らばっていて、距離を超えてつながれるオンラインの可能性をここでも実感している。
「この世に存在していても、知られていなければ、ないのと一緒」……映画の宣伝をしていた若い頃にそう痛感したせいなのか、私は自分の中にある「これ、誰かに知ってほしい!」という情熱にあらためて気づかされた。のと部を通じて、能登とつながりながら、私は私とつながりなおしている。今、東京から何かできているのだとしたら、とてもうれしい。
のと部員プロフィール
福山佳子
子育てが一段落した東京在住の主婦。東京藝術大学のDOOR受講中に友人が被災。それを機に同期と「のとびら」の活動を開始。”能登を忘れない“を合言葉に「ハートマークビューイング」のワークショップ、「のとびらだより」やInstagramでの発信などを行っている。
のと部の最新情報は、SNSで発信中です。ぜひこちらをご覧ください。
6面
江東歳時記リターンズ
「俳句とエッセイ大募集」
江東区ゆかりの俳人、石田波郷(1913-1969)が江東地域を歩き、その風景を句とエッセイと写真によって1957年から58年にかけて読売新聞江東版に連載した『江東歳時記』。そこには当時の江東地域の空気感が色濃く残されています。この度「江東歳時記」に倣い、江東の風景を記した俳句とエッセイを募集します。みなさまの印象に残る風景やゆかりのある場所など、江東区であればどんな場所でも構いませんので、俳句とエッセイを送ってください。ご応募いただいた作品は編集部で検討し、写真家・朝岡英輔氏による撮りおろしの江東区の風景写真とともに、毎号2作品掲載いたします。みなさまからのご応募お待ちしております。
※募集の開始にあたり、「江東歳時記」(1966、東京美術)から一例を掲載いたします。
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募集要項:江東区の風景を詠んだ俳句(1句)とエッセイ(400字程度)、ペンネーム(本名でも可)を記入し、郵送または下記Googleフォームよりお申し込みください。郵送の方は必ず、連絡の取れる電話番号または、メールアドレスを合わせてご記入ください。
応募先 〒136-0072 東京都江東区大島4-1-1大島四丁目団地1号棟106 一般社団法人NOOK「江東歳時記リターンズ」係宛
大島ごはん
お店編 ジンゴゲ029の「コムタン」
Studio04のある大島四丁目団地の1階部分には飲食店をはじめとするさまざまな店舗が軒を連ねている。韓国人のお母さんが営む本格韓国料理屋「ジンコゲ029」もそのひとつで、わたしたちNOOKが足繁く通う「社食」だ。
10品以上あるランチから今回紹介するのは「コムタン」。注文するとすぐに、セットの日替わりパンチャン(おかず)とカクテキがでてくる。がっつり濃い味のパンチャンをパクパク食べてお皿が空っぽになったころ、トゥッペギと呼ばれる真っ黒な器になみなみ入ったコムタンが到着する。牛のスネやテール肉をじっくり時間をかけて煮込んだ真っ白なスープは、優しい口当たりの向こうに、たっぷり入った黒胡椒の刺激が顔を覗かせる。スープに沈んだ長ネギとたっぷりのお肉、ちゅるちゅるもちもちの韓国春雨、ときどきカクテキに寄り道しながら、無心でごはんをかきこむ。スープが半分ほどになったら、残りのごはんを加えてクッパにするのもまたおいしい。食べ終える頃には身体がすっかり温まって、元気が湧いてくる。日本の昆布や魚介のお出汁が優しく身体によりそってくれる存在ならば、コムタンの牛出汁は「いけいけー!」と一気呵成に活力を送ってくれるパワフルな相棒のようだ。寒さ厳しいこの季節、辛いものが苦手な方にもおすすめの韓国家庭料理です。(ランチセット990円)
(店舗情報)
ジンコゲ029
東京都江東区大島四丁目1-1 大島四丁目団地2号棟
11:30~23:00 定休日なし
レシピ編 インド風焼きそば「ハッカヌードル」
団地で出会って友人となったサイーさんが、都内の一軒家に引っ越したと聞いたのでお祝いも兼ねてお邪魔した。紹介してくれたおうちレシピはインド風焼きそば「ハッカヌードル」。使うのはスーパーで普通に売られているチルドの日本の焼きそば麺。でも、ヴィーガンのサイーさん一家では、動物系のエキスが使われている付属のスパイスは使えない。代わりにケチャップ・黒こしょう・市販のハッカヌードル用のマサラで味付けをする。具材はにんじん、ピーマン、キャベツに玉ねぎ。ピリッとスパイシーだけど、さっぱりしていてとても美味しい。すりおろし生姜がしっかり効いたチャイをおともにごはんをいただきながら、日本での食生活の工夫を伺う。旅行に出かけるときなど、お家でごはんができないときは、パンを持参したり、コンビニで昆布や梅干しのおにぎりを買ったりするそうだ。インドでは、どの地域にもその土地ならではのヴィーガン料理があるらしく、その話ももっと知りたいなと思う。
食後にいただいたドライフルーツは「アムラ」という名前で、近所のインディアンスーパーで売っている。アムラは梅や杏に近いすっきりとした味わいの果物で、インドでは「若返りの果実」とも呼ばれ、食後に食べると消化に良いらしい。
今度は一緒にカレーを作りましょう、と言って別れる。日もとっぷり暮れたサイーさんのお家の玄関には、隣の日本人家族からもらったという日本人形と、インドの神さまの絵が仲良く飾られていた。
7面
とある窓
「その窓から、何が見えていましたか?」
そんな問いかけによって語られる、かつてのことやいまのこと。NOOKが2017年から取り組んでいるプロジェクト「とある窓」から、これまで聞いてきた江東区や東北の語り、また新たに取材した能登の語りを、写真家・森田具海の写真とともに毎号紹介していきます。誰かの視点や記憶を通して「とある窓」を覗いてみると、はじめて出会ったはずの風景が、あなたや私がいつか見た/見てみたかった風景に感じられるかもしれません。
東京都江東区大島 惣菜屋 店主の語り
出身は岩手県の二戸だよ、十人兄弟の末っ子でね
高校終わってすぐ、東京に来たんですよ
自分としては田舎にいたかったんだけどね
リンゴ畑があったの、そこが好きでね
だけど親父に「田舎じゃ食えないから東京に行け」って言われて
最初はサラリーマンやってたんだけど、つまらなくてね
そんなとき、新聞広告で肉屋の求人を見つけたんだ
すぐ上の兄が肉屋でね、儲かってしょうがないと言ってたから
じゃあ試しにおれもやってみるかって思ったんだ
当時はいきなり働くんだよ
履歴書だとかそういうのは一切なかった
給料はこのくらいだがいいか、住み込みか、
いつから働けるかって確認されて
いまから働くって言ったら、その日からもう泊まれるの
そうやっていろんなところで働いたな
あるとき、同じところに勤めてた友だちと、ふたりでお金を出しあって独立しようって話になってね
小さい場所を借りて、肉の配達専門の店をつくった
でも、始めてみたはいいけど、お客さんがいないんだよね
使ってくれそうな飲食店に片っぱしから営業に行ったよ
「肉屋始めたんですよ、自分たちの肉を使ってください」って
それでたくさん注文取ると、今度は在庫がないわけ
だから、他の肉屋で買ってきちゃうのね
そうやって最初はとにかく間に合わせていたんだけど
だんだん何が必要かわかってくるんだよね
これは絶対に売れるとか、これはちょっとでいいとかね
損することもあったけど、楽しかったよ
生きてるって実感がしたね
その後に店舗借りて、十年くらいは一軒家で店をやってました
昼は店舗で、夜は配達でって
その頃はいくらでも売れたねえ
この団地に来たのは、昭和の終わり頃
その前にやってた一軒家が立ち退きになったの
当時はバブルだったからね、古い家は全部取り壊しになった
取り壊すと、途端にビルとかマンションになっちゃうんだよ
それからもう、三十年くらいになる
団地は入れ替わりが激しいから、
顔馴染みの顧客っていうのが出来にくいんだよ
うちは、今はもう肉屋はやめて、揚げものとかの惣菜屋になってて
来るのはほとんど子どもたちだよ
子どもが相手だからね、惣菜も安くしてる
安くていいの
どのみち、自分の子どもの仕事が順調に行けば、
肉屋はやめようと思ってたから
親のやってることを継がなきゃなんないなんて、自由じゃないでしょ
自分のやりたいことあったら、それやった方がいいからね
おれは末っ子だからね、田舎の方の相続は一切関係なし
もし帰ったって、その後が続かないからね
うちの子どもたちは東京で頑張ってるんだから
おれは田舎のほうが好きなくらいだから、
田舎の暮らし方もわかってるけどね
子どもの頃、友だちと遊びにいこうっていうと、山なんだよ
敷地が広いからね、そこは自分の王国なんだ
カラスが来たら撃ったり、刀振り回したりしたね、とにかく自由なの
あの開放感がたまんないね
リンゴ取って、一口齧ってぶん投げたりしてさ
夜中に山小屋に行って麻雀やったりさ
楽しかったね
ここから空が見えるのは珍しいんだよ
ずっと建物があったから、いままで全然見えなかったんだけどね
また同じところに建物が建つみたいだし
そしたらまた見えなくなっちゃうんだろうけど
いまは見えるんだよ、なんだか嘘みたいだな
2023年8月28日 東京都江東区大島四丁目にて
画像説明 惣菜屋の店内から大きなガラス窓を通して団地の外を眺めた構図。石畳のような広い広場の中央で、自転車のそばに3人の人物が立って会話をしている。背景には工事中の建設現場が見える。
石川県七尾市中島町 劇場 職員の語り
この風景を見るとほっとしますね
子どもの頃と本当に変わってないんですよ
秋の収穫の時期は本当にきれいですよ
このまちの出身で、今もここから近くの実家に住んでます
小学生の頃はよくここに友達と遊びに来たり、
宿題をやりに来たりしていました
前はこの施設に図書館があって、夏は涼しくて冬はあったかくて、いろんな人たちが集う場所だったんです
小中学生の頃は授業の一環で、
ここに演劇を観にくることもありました
毎年、仲代達矢さんの無名塾の公演があって、
そういう演劇を観ていました
旅行で能登を訪れた仲代さんが、景色やまち並みを気に入って、
無名塾の合宿がこのまちで始まったんです
ここは仲代さんとまちの人たちの交流がきっかけで生まれた劇場なんですよ
めぐりめぐってこの劇場に戻ってきた感じですね
自分もここで働くくらいの歳になったんやなあって思います
高校を卒業してからは、東京の演劇系の大学に行って、
俳優をしてたんです
生まれたときからこの劇場があったので、
演劇が身近なまちで育った影響も大きいかもしれません
大学卒業のときにちょうどコロナが始まって、
演劇の公演が本当にできなくなって
何もできない状態に落ち込みたくなくて、いったん一区切りして、
違う場所で頑張ってみようと思ったんですよね
東京から戻ってきてからは、
数年間フレンチのお店で働いていました
お店のオーナーは東京からの移住者で同い年なんです
オーナーは野草に詳しくて、
まちを歩いて一緒につくしとかたんぽぽとか採ったりしてました
飲食の仕事をしてると、野菜の生産者だったり、
いろんな人にも会えるんですよね
自分は何十年もここに住んでるのに、
今まで気づかなかったことがたくさんあって、
見過ごしていたものが見えるようになったというか
地震は去年の出来事とは思えないですね
すっごい前に感じます
家族は大丈夫だったんですけど、家は半壊の判定を受けて、
まだ住んでるんですけど、そのうち解体はするんです
解体の後はどうするかまだ決めてないんですよ
私としては家を残したい気持ちがあったんですけどね
地震の後すぐ、能登の飲食店の人たちが集まって炊き出しとかあったんですけど、私は一か月くらいは立ち直れなくって
オーナーはすごく前向きだったんですけど、
私はそれと逆だったんで
自分の気持ちが整うまではちょっと休ませてくれって
その後からここで働き始めて
劇場は修繕が必要になって使えなくなってしまったんですよね
どこを舞台にできるかって考えて、このエントランスを使って、
詩の朗読会や地元中学生の吹奏楽演奏会を行ったり
隣の体育館で海上自衛隊の復興コンサートを開いたり、
市内の図書館で親子向けのワークショップをしたり
今できることに目を向けていろいろ新しい取り組みをして、
発見がありましたね
大きい劇場よりもお客さんとコミュニケーションも取りやすいし、
地震がなければ、考えなかったことでしたね
もともと田舎なんで人は少ないですけど、
地震以降は、もっと静かになった気がします
ここが拠点になって、
また人が集う活気づいた場所になったらいいですね
地元の人だけじゃなくて、全国の人たちにも能登という場所に目を向けてほしいなあって思っていて
公演のときは人がいっぱいになるんですけどね、公演が終わったとたんいなくなってしまうんで、夢見とったんかなあって
2025年10月22日 石川県七尾市中島町にて
写真:床から天井まである大きな窓が特徴的な、明るく開放感のある室内の風景。曲線を描くように配置された白いソファが並び、外には芝生と道路が広がっている。
8面
瀬尾夏美 連続小説 団地それぞれ
第一話 潮のにおいのするまち
都営新宿線の西大島駅から歩いてわずか5分、明治通り沿いに大きな団地があり、およそ2500もの戸数を擁し4000人ほどが暮らしている。わたしがここへ来る前に暮らしていた宮城県のまちの人口はおよそ9000人で、町内を巡るのに車で1時間以上もかかる広さがあったのに、ここは端から端まで歩いてもたった10分ほどだ。この小さな区画にこんなに人がいるなんて信じらんないよってこころのなかで地元の友だちに話しかけてみるも、とくに返事はないのでちょっとさみしい。東京での暮らしにはまだ馴染めない感覚があるけれど、ずっしりと重いスーパーの袋を下げて自分の部屋に向かっていると、確かにわたしはここで暮らしているのだと思える。
とはいえ団地の敷地のなかは中心部の喧騒とはほど遠い。公園や広場がいくつもあって、あちこちで人が集まっている。室外機の横でラジオを聞いてる人、植木の影で体操してる人。不思議な間隔を開けて並んでいるベンチには、編み物する人、本を読む人、ぼんやりする人、おしゃべりする人たちがそれぞれに座っている。おうい、と声がして、飛んできたやわらかいボールを少年たちへ蹴って返すと、彼らが駆け寄ってきて、ぼくらインドから来たんだよ、と片言の英語で教えてくれた。
エレベーターで一緒になったおばあさんたちの言葉が、なんだか地元と近い気がしてつい会話に耳をそばだてる。ひとりはわたしと同じ階で降りたけれど、荷物が重いのか立ち止まってしまったので、声をかけて空いている方の手でそれを持ち上げた。
ありがとうございます、すぐそこなので。おばあさんは品のいい標準語でそう言ってゆっくり歩き出す。
もしかして東北の方ですか。玄関先でそう尋ねてみると、おばあさんはこちらをまじまじと見ながら、はい、岩手です、と頷いた。わたしは宮城なんですけど母の実家が岩手で。そう答えるとおばあさんはふふと笑って、ちょっとあがらいん、と言って玄関のドアを大きく開けてくれた。よその家のにおい。だけど年季の入ったダイニングチェアを飾る手作りらしいパッチワークのカバーは、幼い頃によく遊びに行った祖父母の家の台所を思い出させた。
ほら、これがわがふるさとだ。おばあさんはそう言ってテレビの横に貼られたポスターを指差す。たくさんの人がひしめき合うその海水浴場は、母の実家のすぐそばだ。1970年。ちょうど母が生まれた年。――わたしはいくつもの記憶が浮かんで止まらなくなる。家族のこと。通学路のこと。お祭りのこと。いまはもうない母の実家のこと。ついたくさんおしゃべりをするわたしに、おばあさんは、本当に偶然だねえ、と繰り返し言って笑っている。
夕方になっと、このまちは潮のにおいがするでしょう。東京湾の風が、川を伝ってあがってくるのね。それ嗅ぐと、ほーっとするの。
おばあさんは窓を大きく開けた。わたしの部屋と同じ景色が見える。子どもたちの声が聞こえる。潮のにおい。
ほんとですね。
ね、懐かしいべ。
わたしはおばあさんと並んで、深呼吸をする。
イラスト:かつしかけいた
画像説明 白い団地を背景にした広場での日常を描いたイラスト。手前では買い物袋を下げた女性が奥へ歩いており、左側では子供がボールを追いかけ、右側のベンチには本を読む人、奥に買い物袋を下げた老人が歩いている。
プロフィール
瀬尾夏美
画家、作家。NOOK代表理事。旅先で聞いた語りから物語や詩をつくり、絵を描いている。著書に『あわいゆくころ』『二重のまち/交代地のうた』『声の地層』など。
クレジット
ゆるやかに、くらしつながる。UR賃貸住宅
【画像:未来の城東エリアのイメージ】
ゆるやかなつながりの中で、
だれもが安心して、自分らしく毎日を過ごせる居場所となるように。
そして、そんなくらしが未来へとつながるように。
わたしたちは住む人に寄り添いながら、
常にその時代にふさわしいくらしを考え、
提案し、実現していきます。
Studio04は、訪れる人たちが前向きな気持ちになれる居場所となっています。お住いの方や地域の方にとって、団地が、より居心地のよい場所となるように、わたしたちは取り組んでいきます。
NOOK information
一般社団法人NOOK (のおく) は、東日本大震災以降、仙台市内や三陸沿岸各地で、 リサーチ、記録、表現活動を行ってきたアーティストや研究者らによるコレクティブです。 現在は東京都江東区に拠点を置き、災禍の記録のリサーチを行い、対話の場を設え、 そこで起こるさまざまな事象を、映像やテキスト、ドローイングといったメディアを用いて記録・表現をしています。
Studio04 〒136-0072 東京都江東区大島4-1-1大島四丁目団地1号棟106
都営新宿線西大島駅より徒歩5分
住んでる 隣りあう人たちの声を聞く
発行日:2026年1月23日
発行者:UR都市機構(東日本賃貸住宅本部ストック再生企画部 計画第1課)
企画・編集:一般社団法人NOOK(磯崎未菜、瀬尾夏美、関優花、中村大地)
執筆(とある窓):青田亜香里、関優花
デザイン:合同会社ホームシックデザイン
印刷所:山口北州印刷株式会社
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イラストレータープロフィール
かつしかけいた
葛飾区出身・在住の漫画家・イラストレーター。
「トーチweb」に連載中の漫画『東東京区区』単行本1巻が発売中。雑誌『散歩の達人』に「水と歩く」、フリーペーパー『メトロミニッツ』に「ひと皿、ひと時、沁みる夜」を連載。そのほか書籍の装画や自治体のイラストなどを制作。
かつしかけいたInstagram
※今回の表紙イラストは、かつしかさんが実際に大島エリアを歩いて、大島四丁目団地をモデルに描きました。
